SaaS ABM戦略 ターゲット選定から商談化までの実務
セールス・MA

SaaS ABM戦略 ターゲット選定から商談化までの実務

執筆: ローカルマーケティングパートナーズ 編集部

監修: 山本 貴大

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ABMは「少数のターゲット企業に集中してアプローチする」営業・マーケティング戦略です。SaaS企業がエンタープライズ領域を攻略する際、従来のデマンドジェネレーション型のファネルだけでは限界があります。ABMはその限界を補完する手法として、特にACVの高いSaaSプロダクトで有効に機能します。

  • ABMはターゲット企業のTier分類と営業リソースの集中投下が起点になる
  • Tier 1は10〜30社に絞り、企業ごとの課題仮説を立てて個別アプローチする
  • マーケとセールスが同じターゲットリストを共有し、接点情報をリアルタイムで連携する
  • 効果測定はMQL数ではなくエンゲージメントスコアとパイプライン貢献額で評価する
  • デマンドジェネレーションとの併用が前提で、ABM単独では市場カバレッジが不足する

BtoB SaaSのマーケティングでは「リードを大量に獲得してファネルに流す」というデマンドジェネレーションのアプローチが主流です。ホワイトペーパー、セミナー、リスティング広告などでMQLを積み上げ、インサイドセールスが商談化する。いわゆるTHE MODELの構造です。

しかし、ACVが年間100万円を超えるエンタープライズ向けSaaSでは、この手法だけでは成果が出にくくなります。意思決定に関わるステークホルダーが多い、導入検討期間が長い、そもそもターゲット企業の数が限られている。こうした条件下では、不特定多数にリーチするよりも、特定の企業に深くアプローチする方が合理的です。

本稿では、SaaS企業がABMを導入するための実務を、ターゲット選定からKPI設計、マーケ×セールス連携まで体系的に整理します。

SaaSビジネスにおけるABMの位置づけ

ABM(Account-Based Marketing)は、ターゲットとする特定企業に対して、マーケティングと営業が連携しながら個別最適化されたアプローチを行う手法です。不特定多数へのリーチを目的とするデマンドジェネレーションとは逆のアプローチで、「漁」ではなく「釣り」に例えられます。

SaaS企業がABMを検討すべきタイミングには明確なシグナルがあります。

ACVが高い場合。 年間契約額が100万円を超えるプロダクトでは、1社の獲得・喪失が事業インパクトに直結します。1社1社に手間をかけるABMの投資対効果が見合う水準です。

ターゲット企業数が限られている場合。 業界特化型SaaSや大企業向けプロダクトでは、そもそも潜在顧客が数百社〜数千社程度に限定されます。この規模感であれば、リスト化して個別にアプローチする方が効率的です。

既存のファネルが頭打ちになっている場合。 MQL数は取れているが商談化率が低い、大型案件が増えない。こうした課題はABMで突破できる可能性があります。

ABMとデマンドジェネレーションの適用領域 ABM領域 ターゲット企業に集中アプローチ Tier 1: 10〜30社 個別カスタマイズ Tier 2: 50〜100社 セグメント別施策 Tier 3: 200〜500社 軽量ABM ACV 100万円〜 / 長期検討型 デマンドジェネレーション領域 市場全体にリーチ・リード獲得 コンテンツ / SEO / WP セミナー / ウェビナー 広告 / リスティング / SNS ACV 〜100万円 / 短期検討型

ABMとデマンドジェネレーションは二者択一ではなく、ターゲット企業のセグメントとACVに応じて使い分ける(あるいは併用する)のが実務上の正解です。SaaSマーケティングの全体設計についてはSaaSマーケティングの立ち上げと体制構築で解説しています。

ターゲット企業の選定とリスト設計

ABMの成否は、最初のターゲットリストの質で8割が決まります。「どの企業を狙うか」の判断精度が、その後のすべての施策の効果を左右するためです。

ICP(理想顧客プロファイル)の定義

ICPは「自社プロダクトが最も価値を発揮する企業の属性」です。既存の優良顧客を分析して共通パターンを抽出します。

分析の切り口は以下の3軸が基本です。

企業属性。 業界・従業員規模・売上規模・本社所在地・上場/非上場。SaaSプロダクトによっては「IT部門の有無」「DX推進担当の有無」なども重要な軸になります。

課題属性。 自社プロダクトが解決する課題を持っている蓋然性。業界特有の規制対応、業務プロセスの非効率、レガシーシステムからの移行ニーズなど。

取引属性。 ACV、LTV、導入までのリードタイム、NPS。既存顧客のうちLTVが高い企業群の共通パターンがICPのコアになります。

Tier構造の設計

ICPを基に、ターゲット企業を3段階にTier分けします。

Tier企業数アプローチ方針投下リソース
Tier 110〜30社企業ごとに個別の課題仮説・コンテンツを用意高(1社あたり月10時間以上)
Tier 250〜100社業界・課題セグメント別にアプローチ中(セグメント単位で施策設計)
Tier 3200〜500社デマンドジェネレーション+ターゲティング広告低(自動化・半自動化中心)

Tier 1は最もリソースを投下する対象です。企業の事業戦略、直近のIR情報、組織体制、導入済みツール、キーパーソンの経歴まで調べた上で、個別の仮説を立てます。

リスト設計で見落としがちなのが「除外リスト」の整備です。競合企業、与信リスクのある企業、過去にトラブルがあった企業は事前に除外します。また、既存顧客のアップセル対象は別ファネルで管理し、ABMリストとは分けるのが基本です。

マルチチャネルのアプローチ設計

ABMのアプローチは「1回のメールで商談を取る」ではなく、複数のチャネルで接点を積み重ねてエンゲージメントを高める設計が基本です。

Tier 1のアプローチ設計

Tier 1企業に対しては、以下のようなマルチタッチのシーケンスを設計します。

Phase 1 認知形成(1〜2ヶ月目)。 ターゲット企業のキーパーソンにLinkedInでつながり申請を送る。企業の課題に関連するリサーチレポートや業界分析コンテンツをターゲティング広告で配信する。業界イベントやカンファレンスでの接点を作る。

Phase 2 関心喚起(2〜4ヶ月目)。 キーパーソン向けのパーソナライズドメールを送付する。自社プロダクトに直接言及するのではなく、企業固有の課題に対する示唆を提供する。少人数のラウンドテーブルや業界セミナーに招待する。

Phase 3 商談化(4〜6ヶ月目)。 具体的な課題解決提案を個別に作成し、デモや導入相談のオファーを行う。既存の類似企業の導入事例を共有する。営業担当がダイレクトアプローチに切り替える。

Tier 2のアプローチ設計

Tier 2は個社別ではなく、セグメント別のアプローチが効率的です。業界×課題のセグメントを切り、セグメントごとにコンテンツとメールシーケンスを設計します。

チャネル別の役割

チャネル主な役割Tier適性
LinkedIn広告/DMキーパーソンへのピンポイントリーチTier 1-2
パーソナライズドメール課題仮説の提示・関係構築Tier 1
セグメント別メール業界課題の提示・ナーチャリングTier 2-3
ターゲティング広告認知形成・リマインド全Tier
イベント/セミナー対面接点の創出Tier 1-2
個別提案書商談化のトリガーTier 1

インサイドセールスの具体的な運用体制についてはSaaS企業のインサイドセールス設計を参照してください。

パーソナライズドコンテンツの制作

ABMにおけるコンテンツは、デマンドジェネレーションで使う汎用的なコンテンツとは性質が異なります。ターゲット企業の状況に合わせてカスタマイズされたコンテンツが必要です。

Tier 1向けコンテンツ

Tier 1企業には、企業ごとにカスタマイズされた以下のコンテンツを用意します。

課題診断レポート。 ターゲット企業が直面している(であろう)課題を、公開情報やIR資料をもとに分析したレポートです。「御社の業界では〜」という一般論ではなく、「御社の〜という事業方針に対して〜」という具体性が求められます。

ROIシミュレーション。 ターゲット企業の規模や業態に合わせた導入効果の試算資料です。業界平均ではなく、可能な限り企業固有の数値を入れることで説得力が増します。

導入事例(類似企業)。 ターゲット企業と同業界・同規模の企業の導入事例を優先的に共有します。事例がない場合は、類似の課題を持つ別業界の事例でもアレンジ可能です。

コンテンツの量産体制

ABM向けコンテンツは1本1本のカスタマイズが必要なため、量産が難しいという課題があります。実務上は以下の構造で対応します。

テンプレート+カスタマイズの2層構造。 基本構成(業界動向・課題構造・解決アプローチ)はテンプレート化し、企業固有のデータポイントや課題仮説だけを差し替えます。テンプレートの品質が高ければ、カスタマイズ工数は1社あたり2〜3時間で収まります。

SaaSのコンテンツマーケティング全般についてはSaaS企業のコンテンツマーケティング設計で体系的に整理しています。

ABMの効果測定とKPI設計

ABMの効果測定は、デマンドジェネレーションとは異なる指標体系が必要です。MQL数やCPAで評価すると、ABMはほぼ確実に「非効率な施策」に見えます。ターゲットの母数が少ないため、従来型のファネル指標では成果が見えにくいのです。

ABM固有のKPI体系

ABMのKPIフレームワーク アクティビティ ターゲット到達率 コンテンツ接触回数 メール開封/返信率 イベント参加率 エンゲージメント エンゲージメントスコア マルチスレッド率 キーパーソン接触率 サイト訪問頻度 パイプライン 商談創出数/金額 受注率 平均ACV セールスサイクル期間 従来型KPIとの対比 デマンドジェネレーション ABM MQL数 → SQL数 → 受注数 到達率 → エンゲージメント → パイプライン貢献額 CPA / CPL で効率評価 パイプライン金額 / 受注ACV で効果評価
KPIカテゴリ指標目安水準
Activityターゲット企業の到達率Tier 1で80%以上
Engagementエンゲージメントスコアの上昇月次で10〜15%向上
PipelineABM起点のパイプライン金額全パイプラインの20〜30%
RevenueABM起点の受注ACV非ABMの1.5〜2倍

エンゲージメントスコアは、ターゲット企業の反応度合いを数値化した指標です。メール開封、リンククリック、サイト訪問、コンテンツダウンロード、イベント参加などの行動にポイントを付与し、企業単位で集計します。スコアの上昇がアプローチの有効性を示す先行指標になります。

KPI設計やユニットエコノミクスの考え方はSaaS事業のKPI設計とユニットエコノミクスで詳しく解説しています。

マーケとセールスの連携体制

ABMが従来のマーケティング施策と最も異なるのは、マーケとセールスの関係性です。デマンドジェネレーションでは「マーケがリードを作り、セールスに渡す」という直列の構造ですが、ABMでは「マーケとセールスが同じターゲットに対して並行してアプローチする」並列の構造になります。

連携の仕組み

共有ターゲットリスト。 マーケとセールスが同じリストを見て動く前提で、リストはCRM上で一元管理します。各企業のTier、担当営業、アプローチ状況、エンゲージメントスコアがリアルタイムで共有される状態が理想です。

週次ABMミーティング。 Tier 1企業の進捗を共有する定例ミーティングを設けます。マーケからはコンテンツ接触状況やエンゲージメントスコアの変動、セールスからは直接のコミュニケーション状況を共有し、次のアクションを決めます。

SLA(Service Level Agreement)の設定。 マーケがエンゲージメントスコアの閾値を超えた企業をセールスに引き渡すタイミングと、セールスがフォローアップする期限をSLAとして明文化します。

ABMチームの構成

役割担当業務必要人数
ABMストラテジストターゲット選定・戦略設計・KPI管理1名
コンテンツ担当パーソナライズドコンテンツの企画・制作1名
デジタルマーケ担当広告運用・メール配信・スコアリング管理1名
営業担当(AE)ターゲット企業への直接アプローチ2〜3名

小規模に始める場合は、ABMストラテジストとコンテンツ担当をマーケ責任者が兼任し、営業担当1〜2名と組む体制で十分です。

リードナーチャリングの仕組みについてはSaaS企業のリードナーチャリング設計で、営業パイプラインの設計についてはSaaS営業のDXとパイプライン管理で詳しく解説しています。

ABM導入の優先順位と段階的拡大

ABMの導入を検討するとき、いきなり全社的なプログラムとして立ち上げるのはリスクが高いです。まずは小規模なパイロットで実績を作り、成果が見えてから拡大するのが合理的です。

Phase 1 パイロット(1〜3ヶ月目)

Tier 1として10社を選定し、ABMのアプローチを試行します。この段階ではツール投資を最小限に抑え、CRM+スプレッドシート+メール配信ツールの組み合わせで運用します。

目標は「ターゲット企業から最初の商談を1〜3件創出すること」。ABMの手法が自社のターゲットに有効かどうかを検証するフェーズです。

Phase 2 体制構築(4〜6ヶ月目)

パイロットの結果を踏まえ、Tier 2まで対象を拡大します。セグメント別のコンテンツやメールシーケンスのテンプレートを整備し、半自動化できる仕組みを構築します。

この段階でABMプラットフォーム(Demandbase、6sense、Terminus等)の導入を検討します。ただし、ツールの導入が目的化しないよう、パイロットで検証された施策をスケールさせるための手段として位置づけます。

Phase 3 スケール(7〜12ヶ月目)

Tier 3まで含めた全体プログラムに拡大し、デマンドジェネレーションとの連携モデルを最適化します。ABM起点のパイプラインが全体の20〜30%を占める状態を目指します。

フェーズ対象企業投下リソース目標
Phase 1Tier 1: 10社マーケ1名+営業2名商談1〜3件創出
Phase 2Tier 1-2: 60〜130社マーケ2名+営業3名ABMパイプライン構築
Phase 3Tier 1-3: 全体専任チーム3〜5名パイプラインの20〜30%

段階的な拡大の過程で蓄積されるデータが、ICPの精緻化やアプローチの最適化に直結します。ABMは一度設計して終わりではなく、データに基づいて継続的に改善していく施策です。

SaaSマーケティングの立ち上げ全体についてはSaaSマーケティングの立ち上げと体制構築を参照してください。

SaaSマーケティングの全体構造と戦略設計はSaaSマーケティング体系ガイドで解説しています。

よくある質問

Q. ABMはどの規模のSaaS企業から始められますか?

A. ARR1億円以上、営業チーム5名以上の体制があれば検討可能です。ABMはターゲットリストの精度と営業リソースの集中投下が前提になるため、一定のセールス体制が必要です。ただし、Tier 1を10社に絞り、既存CRMデータの活用から始めれば、マーケ担当1名でも小規模に立ち上げられます。

Q. ABMとデマンドジェネレーションは併用すべきですか?

A. 併用が基本です。ABMはターゲット企業への深耕施策、デマンドジェネレーションは市場全体からのリード獲得施策で、役割が異なります。ABMで狙うTier 1-2企業は全体の10〜20%に過ぎないため、残りの市場にはデマンドジェネレーションでアプローチします。両方のファネルを並行運用することで、パイプライン全体の安定性が高まります。

Q. ABM導入にMAツールは必須ですか?

A. 必須ではありませんが、あると効率が大きく変わります。初期はスプレッドシートとCRMの組み合わせで運用可能です。Tier 1が50社以内であれば手動管理でも回ります。ただし、マルチチャネルのアプローチ状況やエンゲージメントの可視化にはMAツールが有効で、規模拡大を見据えるなら早期導入が合理的です。

Q. ABMの効果が出るまでどのくらいかかりますか?

A. 最初の商談化まで3〜6ヶ月、パイプラインへの明確な貢献が見えるまで6〜12ヶ月が一般的です。ABMはリードの量ではなく質にフォーカスする施策のため、MQL数のような従来型の指標では短期的に効果が見えにくい特性があります。エンゲージメントスコアの上昇やターゲット企業からの初回接点創出を中間KPIに設定し、早期に成果を可視化する工夫が必要です。

Author / Supervisor

山本 貴大

監修

山本 貴大

代表取締役 / 株式会社ローカルマーケティングパートナーズ

マーケティング支援の実務経験を活かし、BtoB/BtoCの戦略設計から施策実行まで150件超のプロジェクトを統括。地場の店舗ビジネスからスタートアップ、上場企業まで、現場に入り込んで再現性あるマーケティングを構築する。セミナー支援では企画・運営・登壇まで一気通貫で手がける。

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